- 積哲夫ラジオ(宇宙の声)VOL.37
2025年1月15日 Vol.37:未来を考えるための学び
今の人間界がこれほど変動しているのは、この世に投影される精神界が大変動しているからですが、今の人間界にそのことを伝えるメディアがないので、私、積哲夫とこの積哲夫ラジオにその役割が託されています。
人間世界では予言のようなものに一定の需要があるようですが、この時空の未来は定まっているものではありません。ただし、正しいルートで人間界に伝達された未来のプログラムは、この世で現実化するというのも事実です。
この世は精神界で起きたことを映す場だと私はお伝えしています。聖書の黙示録などは終末の予告をビジョンとして見せられた人間が記したものです。ただし、そのビジョンは、情報の受け手の脳内にあるデータを使ってしか再生されません。現代人が同じ情報を送り込まれたら、最新の科学情報を根拠にした映画のようなものになるはずで、これが精神界が関与した予言や言葉を託される予言というもののメカニズムです。
では、ある種の能力者に未来が見えるのは何かというと、その魂の小宇宙の中を未来に向けて旅した結果、その人間の小宇宙の時空に書き込まれた、未来の姿のビジョンを見ているのす。この物質宇宙は一見一つの時空のようで、精神エネルギー的には、マクロコスモスは人間のミクロコスモスと並行して存在し、相互に影響を与え合っているのです。
重要なのは、ほとんどの人間の小宇宙の情報は、生まれた時に与えられた情報のまま更新されないということで、この情報を最新のものにするためにも、この積哲夫ラジオを始めよ、と天が私に指示したのです。
今の地上にあるほとんどの宗教的知識やスピリチュアルが接触したと主張する宇宙的存在からの情報を検証しても、大きな変化を知らせる告知はあっても、今何が起きているのかを知らせる最新のデータはありません。明治維新の前後、神の国であるこの日本列島では神様系の新興宗教が数多く出て、この世に警告を発したにも関わらず、私が働きに引っ張り出された千九百九十一年以降、日本には見るべき神がかりも、神道系の新興宗教も現れてはいません。宗教ではオウムや幸福の科学などもありましたが、日本の神とは無縁なものです。
明治維新の時に日本神界が関与していたという明らかな証拠が残されているのに、その時よりもはるかに重要な現代の転換点に、日本神界が何もしないということはありえないのです。その情報開示の方法としてこのラジオを始めさせたというのが、地球神界と日本神界の総意なのです。精神界の最新の情報開示は、その証拠に、この積哲夫ラジオでしかなされていません。
一般の霊能者や予言書と異なるのは、精神界ではこういう形で決着したから、それが現実の世界に投影されればどうなるか、自分で考えて行動しましょう、と伝える役割をこのラジオが持っているということです。聖書の時代が終わり、古事記、日本書紀の時代が終わりました。それでこの世はどうなるのか、その答えは精神学の学びの中で見えてきます。ここまで教えて、後は自らの意思で歩みなさいというのが、人間の魂を導く光のプログラムということなのです。
<ラジオ内容全文>
積哲夫ラジオ、第三十七回です。
この積哲夫ラジオは二千二十五年という大きな節目を迎える時に合わせて、精神界の動向を人間界に伝えるために、始めるよう指示されたものです。誰からの指示かと言うと、とりあえず天という言い方をしていますが、一般に神界と呼ばれるところより、さらに上の方があると考えていただくと、多少はイメージできるかもしれません。
人間界がこれほど変動しているのは、この世に投影される精神界が大変動しているからで、今の人間界にその精神界で何が起こっているのかを伝えるメディアがないので、私、積哲夫にその役割が託されたということです。
人間の世界では予言のようなものに一定の需要があるようですが、この時空の未来は定まっているものではありません。ただし、この現世、物質の世界は、すでに起きた精神界の事象が反映される場というのが、私たちが生きている物語宇宙というものの法則です。つまり、正しいルートで人間界に伝達された未来のプログラムは、この世で現実化するというのも事実なのです。私は、この世は精神界で起きたことを映す場だとお伝えしていますが、例えば聖書の黙示録は、終末の予告をビジョンとして見せられた人間が記したもので、それは未来に起こることをあらかじめ知らせておくという目的を持つものです。
このビジョンとして脳内に送り込まれる情報は、その情報の受け手の知り得る限りの脳内データを使って再生されるものだということを忘れてはなりません。同じ情報を送り込まれるのが現代人なら、そのビジョンは最新の科学的情報を根拠にした、映画のようなものになるはずだということです。これが精神界が関与した予言や言葉を託される予言というもののメカニズムです。
一方である種の能力者が、自分の意識を未来に向けて見えるビジョンというものもあります。これは何かというと、その予言の能力を持つ人間の小宇宙を未来に向けて旅した結果、得られた情報ビジョンということになります。つまり、その人間の魂に書き込まれた時空の未来の姿です。この物質宇宙は一つの時空のように見えますが、精神エネルギー的には、マクロコスモスはミクロコスモスという人間の小宇宙と並行して存在し、相互に影響を与え合っている場だということです。そして巨大なマクロコスモスは精神界という場で起きたエネルギー的変化を、現実化して投影するスクリーンということになります。
重要なのは、ほとんどの場合、人間のミクロコスモスは生まれた時に与えられた情報のまま更新されないということです。この情報の更新がされないまま、人間が意識を未来に向けても、初めに与えられた時空のビジョンが見えるだけです。
この人間の小宇宙の中の精神界の情報を最新のバージョンにするために、天が私に積哲夫ラジオを始めよ、と指示したのです。今の地上にあるほとんどの宗教的知識や、スピリチュアリズムが接触したと主張する宇宙的存在からの情報を検証してみれば、そこに大きな変化を知らせる告知はあっても、今何が起きているのかを知らせるデータはないのです。
考えてみてください。日本の転換点となった明治維新の前後には、神の国であるこの日本列島では、人に神がかかり、天理や大本、黒住や金光といった、神様系の新興宗教というものがいろいろ出て、この世に警告を発信しました。ところが、私が神業とでも言うべき働きに引っ張り出された千九百九十一年以降、日本には見るべき神がかりもなければ、神道系の新興宗教も現れてはいません。宗教という点ではオウムや幸福の科学などが出ましたが、それらは日本の神と無縁なものです。
古くから神の世界では、人間の世界に関わる際に、その役割を持つ人間にミコトモチというシステムで特別なエネルギーを付与してきたという歴史もあります。その代表が天理の中山ミキや、大本の出口王仁三郎なのですが、そのやり方で失敗した結果が千九百四十五年の敗戦なのです。
現代のような明治維新よりもはるかに重要な転換点に、日本神界が何もしないということはありえないのです。明治維新の時に関与していたという明らかな証拠が残されていて、この二十一世紀の転換点に、その情報開示の方法として、この積哲夫ラジオを始めさせたというのが、地球の神界及び、日本神界の総意なのです。その証拠が精神界の最新の情報開示が、この積哲夫ラジオでしかなされていないということなのです。
これが私が伝えていることと、一般に霊能者、預言者として知られている人間の情報の違いです。この積哲夫ラジオは、予言や予告ではなく、精神界ではこういう形で決着したから、それが現実の世界に投影される未来がどうなるか、自分で考えて行動しましょう、ということを伝えるという役割を担っているということです。聖書の時代が終わりました。古事記、日本書紀の時代が終わりました。それでこの世はどうなるのでしょうか。その答えは精神学の学びの中で見えてきます。ここまで教えて、あとは自らの意思で歩みなさいというのが、人間の魂を導く光のプログラムということなのです。
今週の光文書
(ヒカリモンジョ)
- Vol.800+30+118
人民三分の現実
「人民三分になるぞ」という言葉は、日本に置かれた有名な予言書である日月神示にあるものです。また、日月神示を受けた岡本天明が学んだ大本にも同じような予言があります。
良くも悪くも、ひとつの分岐点となる、この二千二十五年の正月に、私は、いまの日本が直面している危機の正体を考察していたのですが、その時に降りてきたのが、「日本の神民、すでに三分ぞ」という言葉でした。この三分という言葉は、一般に三分の一という意味で理解されています。
天変地異によって、一億二千万人の日本人の三分の二が、二千二十五年に死滅するという可能性もなくはないのですが、私の頭の中に降りてきたイメージは、日本の政治情勢に関するものでした。
いまの日本の政治的バランスをひと言でいうと、国民の三分の二が無神論系イデオロギーに洗脳されていて、いまの日本の不幸があるということです。
一応、神民とされる残り三分の一も、投票先となる政党があまりないため、政治参加の意欲が高いというものでもないのです。
その一方、二千二十五年の危機に関しては、かなりの日本国民が心配しているようにも見えます。この二千二十五年は、千九百九十五年と二千十一年の内閣よりも、さらに無神論というか、反日イデオロギーに染まった内閣によってスタートしたことを考えると、何もない方がおかしい年だということを、日本国民の多くは潜在意識で感知しているといえるのかもしれません。そこで、すでに日本列島上の日本人の精神界での区別、または判別が決まったらしいということは、私にとっては、大難を小難への一歩ということになります。
どちらにしても、神は約束を果たすという予告なのです。
天変地異や第三次世界大戦などの、自分自身のたましいの物語を読み終える前の人生の終了は、この神の約束の成就とは、違うものとなります。
人間のたましいは、その肉体を離れた後に、裁きの場へ向かうことになっていますが、それらの死では、自分のたましいの責任についての言い逃れを許すことになります。
これが、二千年以上に渡って、審判が実行されてこなかった最大の理由なので、審判者の側が、その方法を採用する可能性は、きわめて低いと考えられるからです。
では、何が考えられるのかというと、日本列島で、何らかの天変地異が生じて、二千十一年のものに匹敵するか、それを超える経済的被害を日本に与えて、円キャリートレードの逆の流れに、世界経済を向かわせるというムーブメントです。
これが起これば、いまの地球的バブルは崩壊します。この天が私に示している二千二十五年のプログラムを、日本に三分の一、いるとされる神の民が、気付けば、天変地異を起こさずとも、同じことが人間界のはたらきで、できることに気付くはずです。
いまの日本の政府や日銀の人間の頭では、この天のプログラムは理解できないでしょうが、常識的に経済とマネーの現実を知り、考えることができれば、これが、日本に残された唯一の道です。
すでに、いまの日本は、闇のマネーにどんどん買われ、日本人は世界の支配層にとって良質な労働力に過ぎないものになりつつあります。
この敗北感に、日本全土が覆われているというのが、二千二十五年の年頭の日本列島の波動でした。日本を守ってきた、日本神話の結界が切れただけで、日本全体の波動は、ここまで低下したのです。そして、この波動の低下によって、いままで、アメリカにその主力を置いてきた悪神、闇の勢力が日本列島に移りつつあります。歴史的に見ると、世界の金融資本やグローバリスト、DSと呼ばれるような人間グループの背後にいて、彼らにパワーを与えていた闇のエネルギーの本体が日本上陸を果たしたということです。
これが、二千二十五年に日本列島と光と闇の神や神々の戦いが生じるというシナリオが現実化しているということのはじまりで、この先に、私が伝えてきたように、人間の身体を神の容器として目覚めさせ、小宇宙の救世主となれるような人材が、一万人ほど日本列島から出るかどうかで、現実世界の変動も程度が決まることになります。いまの世界のマネーの秩序を、神は破壊するとすでに宣言しています。その実行段階において、天や地球が生む災厄と、人間が生み出す災厄のどちらの方が大きくなるのかを、この光文書の読者の方は、この二千二十五年に見ることになります。日本が沈めば、世界も沈むということを忘れないでください。神紀五年(二千二十五年)一月九日 積哲夫 記