- 積哲夫ラジオ(宇宙の声)VOL.34
2024年12月25日 Vol.34:魂と最後の審判のプログラム
人間の魂と宗教の関係についての情報開示をすると、人類が現れて文明を築き、今日までに生まれて死んだ人間の全てに神のワケミタマであるエネルギーが宿っていたとしたら、その総量は一千七十六億人分です。
私が知らされている一神教の神の精神エネルギー総量は、人間の魂百億人分です。それは、神自らが聖書で伝えているように、一人一人が最後の審判の実行者となるプログラムを内在した人間なのです。
キリスト教文明が至った限界点は、イデオロギーの文明であり、妬み深い人が妬みをどんどん増大させるような社会の仕組みを拡大し、発展するものでした。このイデオロギーの出発点は、結局のところ無神論であり、支配と被支配の関係性から脱却できないと歴史的に証明していると言えます。
この対局にあるのが日本文明で、国民はおおみたから、富を生み出すもととされ、暴力的な支配・被支配の関係はありません。この日本の歴史を、無理矢理無神論的な歴史解釈で教育した結果が、今の日本の精神文化に大きな空白を生んでいますが、キリスト教文明圏でも、社会的規範を青少年に植え込む能力を、すでに宗教は喪失しています。
しかし、宗教の影響力の減退によって無神論のグローバリストが影響力を拡大したかというと、そうはなっていません。普通の人間は死んだら終わりという唯物論を盲目的に信じることがないからです。ではなぜ無神論、唯物論をグローバリストたちが推進するかというと、彼らは聖書に記された、裁きの時に左に分けられる者たちだからです。
審判の仕組みが人間のミクロコスモスにきちんと組み込まれていたという情報にこそ大きな意味があるのです。私が神を超えよ、仏を超えよと伝達しているのは、神を超えなければ審判の実行者にはなれず、仏を超えなければ、この宇宙の外へ出る道を見つけられないからです。
お釈迦様が出た五百年後にイエス様の十字架があるという人間精神の歴史の背後に、宇宙的な精神進化のプログラムがあり、一人一人が宇宙と同じ目的を持って存在しています。それがなぜ人間界で強烈なアンチの感情を引き起こすのか。その人間の魂が、死後行くべきところを知っているのですが、その恐怖をなかったことにするために、神も審判もないという言葉の狂気の中に自らの宇宙を閉じ込めようとするのです。ですが、それをしたとしても、裁きから逃れることはできません。
<ラジオ内容全文>
積哲夫ラジオ、第三十四回です。
今回は、聖書の時代というテーマで、人間の魂と宗教の関係についての情報開示をします。今ある人間文明の知識で言うと、人類が現れて文明を築き、今日までに地上に生まれて死んだ人間の総数は、一千七十六億人をわずかに超える程度だと言われています。今の地球には八十億人ほどが存在しているとされるので、過去に生きて死んだ人間は、その十三倍ぐらいいた、ということになります。
キリスト教文明圏ではその神学の影響もあって、人間の魂の生まれ変わりはない、と考えるものが多いようですが、日本人の多くは生まれ変わるものと思っています。過去に人間として生まれた人間の全てに、神のワケミタマであるエネルギー体が宿っていたとすると、そのエネルギー総量は約一千七十六億人分ということになります。
その量を多いとみるか、少ないと見るかは、人間の精神的エネルギーに対する見方で変わりますが、私が知らされている一神教の神の精神的エネルギー総量は、この人間の魂百億人ということです。そしてここから先が重要なことですが、その百億人の魂は、自らが聖書で伝えているように、最後の審判というものの実行者になるというプログラムを内在した人間なのです。
この世は、妬み深い人がその妬みをどんどん増大させるような社会の仕組みを全世界に拡大させる方向で発展してきました。これを資本主義と呼んでもいいのですが、その資本主義に対する概念の社会主義や、共産主義の方が、その社会における格差は資本主義の国よりもさらに拡大するという歴史的事実があります。これがイズムの時代、なんとか主義と訳される、イデオロギー文明に至ったキリスト教文明の限界点なのです。
一神教の文明は、資本主義から共産主義というイズムで、日本語にすると理念というものに人間の意識を導きましたが、人間が頭の中で作り上げたイデオロギーの出発点は、結局のところ無神論なのです。
妬むものが頭の中で作り出した神の国というものでは、結局のところ、支配と非支配という社会の関係性を脱却できないことを、今のところの人間の歴史は証明しているとも言えるのです。
実はこの対局にあるのが日本文明で、この国では一般人、つまり民はおおみたからと呼ばれ、人こそが宝物、富を生み出すもとと認識され、そこには西洋文明の支配と非支配の暴力的な力関係はありません。この日本の歴史を、敗戦後の日本では、無理矢理、唯物史観という西洋文明が生み出した無神論の歴史解釈で説明した教育をした結果が、今の日本人の精神文化に大きな空白を生んでいます。しかし、これはキリスト教文明圏においても同様で、すでに宗教は社会的な規範を青少年の意識に植え込む能力を喪失しているとも言えるのです。
つまり、一神教の文明圏においては、神の、あるいは神の代理人としての宗教者の影響力は、一部の地域を除いて急速に失われていますが、それによって、無神論に親和性を持つグローバリストの影響力が急拡大したかというと、トランプ大統領の再登場に見られるように、そうはなっていないのです。
普通の人間は、自分の魂が死んだら終わるものという、唯物論を盲目的に信じることはないのです。それはすでに無神論を徹底して教えた旧ソ連邦が崩壊した時点で証明されています。では、なぜこの世界を今のところ支配しているように見える、グローバリストと呼ばれる人間グループが、無神論、有物論の方向に人間社会を導こうとしているのでしょうか。
簡単に答えを言ってしまうと、彼らは聖書に記された左に分けられる者たちだからです。彼らがしばらくこの世を支配することが許されるとも書かれているからです。その後、裁きの時が訪れるのです。その時の予告のようなものが聖書には記されています。
その言葉通りのことが、この物質世界で現実に起きるとすると、それは滅びの予告であり、審判の予告とはなりません。そのための審判の仕組みというものが、神の容器である人間のミクロコスモスの中にきちんと組み込まれていたという情報にこそ、大きな意味があるのです。私が神を超えよ、仏を越えよと人間界に伝達しているのは、神を越えなければ審判の実行者にはなれず、仏を越えなければこの宇宙の外へ出る道を見つけられないからです。
お釈迦様が人間界に出て約五百年後にイエス様の十字架があるという、人間精神の歴史の背後には、宇宙的な精神進化のプログラムがあるということです。このような一人一人の魂が、この宇宙そのものと同じ目的を持って存在しているという知識が、なぜ人間界で強烈なアンチの感情を引き起こすのかの理由も簡単です。アンチの感情を放出する人間の魂は、その人間がその死後行くべきところを知っているのです。その恐怖をなかったことにするために、神もいなければ審判もないという言葉の狂気の中に、自らの宇宙を閉じ込めようとするのですが、それをしたとしても、裁きから逃れることはできません。
今週の光文書
(ヒカリモンジョ)
- Vol.800+30+116
記紀の終わりと三天皇
この二千二十四年に、日本列島の歴史的役割を規定していた記紀の時代が終わり、いままで続いてきた百二十六代の天皇の中で、最も重要とされる、三天皇が復活されました。
その三天皇とは、後鳥羽、土御門、順徳の各天皇であり、これらの天皇の次には、武家の政権が明治維新まで続くことになります。
孝明天皇の暗殺ではじまった明治維新と、その後の歴史の暗部は、千九百四十五年の敗戦後も長く世には出ませんでしたが、歴史的に見ると二十一世紀の初めの頃には、「最終知識」で記されたように、表に出るタイミングを迎えました。それから、ほぼ四半世紀の時を要して、これまでの日本を規定してきた古事記と日本書紀という日本神話の結界も切れたということです。
記紀は、白村江の敗戦と壬申の乱という歴史的大事件の結果生じた日本列島の危機を、天武と持統という、天智の弟であり娘である天皇が、克服するプロセスで製作されたもので、当然、そこには神界の関与があったということになります。今回、その結界が切れたことで、持統天皇が即位後に、三十数度に及ぶ、吉野への行幸をしていたという歴史の秘密も、開示されることになるのかもしれません。
この記紀によって、作られた天皇の権威が弱まり、武家政権に移行する時代の天皇が、後鳥羽、土御門、順徳という三天皇なのですが、このタイミングで復活をされたということは、日本史の中における天皇の役割に、まだ、何らかの秘密のデータが隠されている可能性があるということです。すでにお伝えしているように、日本の天皇制(ここではあえて、天皇制という言葉を使います)の歴史的役割は、百二十六代の今上天皇で終わることになっていますが、この天皇制という左側のイデオロギーの立場から付けられた言葉にも、多分、大きな意味があるのです。
それは、これから日本で、日本人の意識上で、天皇という人間界のシステムが、左翼イデオロギーの影響のもとで形成された歴史観を克服していくという事象が進行していくことだと、私は推測しています。
日本人が、戦前の日本は悪かったという、歴史観の刷り込みから解放されるタイミングが、戦後八十年の二千二十五年とされていることを考えると、この天皇制、または、天皇というシステムの再評価のはじまりが、来年というのにも納得がいくからです。そこで、三天皇の何が再発見されるのかというと、この三天皇のみたまを保持してきたのは、日本の剣神界であったという歴史的事実です。つまり、後鳥羽天皇が自ら日本刀を作ったというところから見ても明らかなように、武士道精神のルーツにも、天皇という存在が再発見されるのです。
これが、神武の東征にはじまるアマテラス天皇の神話の時代の終了に合わせた秘密の開示だとすると、次のアメノミナカヌシ天皇の姿が、自然に浮かんでくるはずなのです。
アメリカのハリウッド映画のスターウォーズには、日本神界の関与があるというのが、私の知らせている情報なのですが、その物語の最大のテーマは、精神的エネルギーです。
この精神的エネルギーを正しく学んだものは、光の剣を使える戦士になるというシンプルな物語なのです。
この地球的な精神進化のひとつの形が、歴史的に、日本列島において、天皇、スメラミコトとして保持されてきたものです。人間の聖なる力を高める、このシステムが日本列島から、世界に向けて解放される日が、聖書の約束の日と重なるのです、というメッセージが、そこに隠されているということに、これから人類は気付くのです。
その知識を伝達するのは、すでに宗教の役割ではありません。
神の物語の主人公として生きるのは、いま生まれている子供たちなのであり、彼らの脳内に正しい宇宙の像が結ばれれば、彼らは自分の小宇宙の救世主となり、最後の審判の実行者、証言者として、新たな宇宙への旅へ出る約束がなされるということです。これらの用意を整えたのは、誰なのか、考えることができる人間ならば、すでに答えは見えています。
すでに、人間の世は、この段階にまで、到達しているということです。もうすぐはじまる二千二十五年が、その本番となります。神紀四年(二千二十四年)十二月二十六日 積哲夫 記